『小澤有作文庫』のできるまで

 

高秀美

 

 小沢有作先生が急逝されてから今年の八月で丸三年が過ぎました。一部の方はすでにご存知のことと思いますが、たまり場「ねぎぼうず」およびご自宅にあった小沢先生の蔵書は現在、韓国・ソウル大学校中央図書館に全て寄贈・保管されています。目録の方もようやく完成しました。今回『海峡』の場を借りて、小沢先生の蔵書が韓国へ寄贈されることになった経過を含め、簡単な報告をさせていただきたいと思います。

 

 「蔵書を韓国へ寄贈したい」ということは小沢先生が生前思っていらしたことだそうです。そのことはまわりのどなたかに話されたことがあったのかもしれません。それでも多くの人が知らなかったのではないかと思われます。私(高)もその一人でした。

 初めて知ったのは二〇〇一年の八月十六日、小沢先生のお通夜当日のことでした。式場で先生の妹さんの長濱ヒサさんにそっと呼び止められました。長濱さんは以前「耳学門の会」でお話しに来てくださった縁で私を覚えていらしたそうです。

 長濱さんは次のようなことを話されました。

 「二年ほど前のこと、(耳学問の会で)報告する機会のとき『ねぎぼうず』に早く着いて兄と二人でした。このとき『有作兄さん、兄さんがいなくなったらここにある本はどうするつもりなんですか』と聞いたんです、もちろん遺言とかいうことではありませんでした。このとき、兄はニコニコして『韓国へ寄贈したいと思っている』といっていました。『韓国には自分の本を必要としている研究者がいるから…』と」

 そんなことを小沢先生は妹さんに語っていらしたそうです。長濱さんは私がそのことについて知っていたか尋ねられました。

私はまったく初耳でした。

「兄は誰か目処があってそんなことを言っていたのでしょうか? 誰か心当たりの人を知りませんか?」

とさらに長濱さんは尋ねられました。

 突然のことでそのときは「とりあえず、落ち着いたら折を見て当ってみます」とだけ返事をしたように思います。小沢先生があまりにも急に亡くなられたということもありましたが、そのときはただ先生が生前そのように考えておられたということにとても驚きました。

 次の日の告別式のこと。ふたたび長濱さんに声をかけられました。

 「実は昨夜、おねえさん、洋一さん、順一さんに有作兄さんとの会話を伝えました。その結果、韓国へ本を全て贈ることについて全く異存はないとのことです。昨夜遅く韓国から駆けつけた宋a瑛さんという方とも今朝方話をしました。韓国へ本を贈るということで、今後のことをお願できればと思うですが」

とのことでした。

 小沢先生の蔵書を韓国へ送ることはこの時点から出発しました。先生が考えていらした「韓国で必要としている研究者」が誰なのかは結局わかりませんでしたが、蔵書を韓国へ寄贈するという形で実現すれば遺志に沿うのではないかと思ったからです。

具体的な受け入れ先については宋さんにお願いすることにしました。いくつかの候補がありましたが、植民地教育における共同研究でのつながりや「在日朝鮮人教育論」の韓国語訳の出版などでも縁のあるソウル大学校が受け入れ元となってくれないだろうかということで宋さんに初めの交渉をお願いしました。

 送る側としても小沢先生の蔵書を韓国へ寄贈するということでメンバーが必要でしたが、あまりおおげさな形で扱われるのはどうも…というご遺族側の思いもあったことから最初は実際に身体と時間を使って協力してくれることをお願いできる方にしようと思い、志澤小夜子さんに声をかけました。志澤さんは快くその場で引き受けてくださいました。

 そのようなわけで志澤さんと最初に韓国を訪れたのは二〇〇一年の九月二十四日のことでした。

 ソウル大学校とのコンタクトは全て宋さんが取ってくれ、ソウル大学校師範大学の金基?先生も交えて一回目の会合を持ちました。金先生のアドバイスでもやはりソウル大学校の図書館がいいのではないかということでした。金先生とともに図書館長、司書の方たちを訪れ話し合いの時間をもち、私たちの基本的な希望を伝えました。

          「小澤有作文庫」というまとまった形で管理・運営してもらいたい。

          日本においても小沢先生の本は必要とされているので、それらの人を含め文庫は広く一般に公開してもらいたい。

          文庫の整理・搬送にあたっての費用はソウル大学校の方で負担してもらいたい。

という3点でした。

 ソウル大学校としてはほぼ受け入れが可能であろうということになり、ここまでは予想していたよりはかなり順調に話が進んでいきました。

 日本に帰ってきてから今後の進行・作業については何らかの委員会の発足が必要だと思われ、「小澤有作文庫寄贈運営委員会」を立ち上げることにしました。

 メンバーについてはやはり「実際に身体と時間を使うことの可能な人」にしようということで最初の立ち上げに私、志澤さんはむろんのこと柿沼秀雄さん、湯澤和貴さん、佐々木昇一さん、大田康弘さん、遺族を代表して小沢先生の息子さんの小澤洋一さん、また委員会の代表として酒井清治さんに入ってもらうことにしました。韓国と連絡を密に取りあわなければなりませんので宋さんに韓国側の代表となってもらいました。

 当初、韓国への本の寄贈については「日本においての目録の完成後」ということで進行を練っていましたが、ソウル大学校からは「二〇〇二年三月末までに搬入してもらいたい、目録作成についてはソウル大学の方で行う」という意向が伝えられたこととご遺族側からも「ねぎぼうず」の維持・管理については一、二年が限度ということもあり、結局二〇〇二年の四月五日に「ねぎぼうず」からの搬出を行うことになりました。

 高、志澤の両名はその確認のため同年五月二十四日にふたたびソウル大学を訪れ、図書館で作業にかかわった人たちから報告を受けました。私たちの作業についてはこの段階で終わるのでないかと思っていたのですが、実は一つ問題を残していました。小沢先生の蔵書には単行本、全集、雑誌類などの他に封筒に入った昔からの資料類がかなり多く含まれていました。

 図書館側はこれらの資料を保管・管理することはできないのでどうしたらいいか、ということでした。私たちは、植民地研究においては書籍ばかりでなく、むしろ資料類の方に一次資料に当るものが含まれている可能性が大きいことを伝え、これらの資料類を活かす形で管理をお願いし日本に帰ってきました。

 この年の九月に資料整理に関する最終的な打ち合わせで「小澤有作文庫寄贈運営委員会」の五人(小澤、高、志澤、酒井、湯澤)で韓国を訪れました。当初資料の保管について図書館側は難色を示していましたが宋さんや韓国の大学の先生方たち、またボランティアで通訳をしていただいた私の韓国の友人である金勝さんのねばり強い説得もあってようやく、保管しましょうという図書館側の返事をもらうことができました。図書館側としては例外的な措置だったようです。

ただ資料をデータベース化する際の作業については日本の寄贈委員会が責任を持ってもらいたい―日本語をわかり、なおかつ全く未整理な状態の袋に入っただけの資料をジャンル分けするのはただ日本語がわかるだけでは無理な作業でした―ということになり、これからが大変な作業の始まりとなってしまったのでした。

 まず第一に作業をどこでするのかで悩みました。図書館側は「一旦日本に資料類だけを戻しましょうか」と提案してくれましたが、それらの資料を保管しさらに作業をする場がどこにもありませんでした。

日本に戻って『小澤有作文庫寄贈運営委員会』の会合をもち、メンバーが何回かソウル大学の図書館に通って作業するという方向で動いていくことに決定しました。この段階でさらに頭の痛い問題はこれらの費用を自分たちで捻出しなければならないということでした。もちろんそれぞれが仕事の合間を縫って休暇をとり、資料の整理(全ての資料を一旦取り出して分類分けし新たな封筒に収め、パソコンに入力、シール作成・添付)をしなければなりません。

そのようなわけで二〇〇二年十一月に「カンパのお願い」をすることとなりました。このカンパで34名の方から総額三十一万千円を集めることができました。

本来であればカンパを送ってくださった方たちにお礼と収支の報告をしなければなりませんが、この間の渡航費の一部として使わせていただいたことだけ、とりあえずここに報告させていただきます。

 韓国への渡航は私と志澤さんが一番多く数えてみると六回になっていました。資料の整理に当たっては柿沼さん、湯澤さんも同行され最後まで作業をしていただきました。またさらに編集者の川瀬俊治さん、柿沼さんの教え子であった室井康成さん、韓国からは宋さんをはじめ「韓国日本教育学会」の孔秉鎬先生、李明煕先生は忙しい時間の合間を割いて作業を手伝ってくださいました。元ソウル大学の教授であり国史編纂委員会の委員長である李元淳先生は小沢先生とも面識のあった方で何度か図書館側との会合の場に出席してくださいましたが、おそらく今回の寄贈がスムースな形で実現したことについては李先生の存在が大きかったのではないかと思われます。

 

 ソウル大学校中央図書館が作成した「小澤有作文庫」の内訳を目録からみると以下のようです。

単行本(日本語で書かれたもの・一二八三五冊、ハングル・一〇七冊、中国語・八一冊、英文・四九四冊)            計 一三五一七冊

定期刊行物(日本語・一七八六冊、英文・十四冊)    計 一八〇〇冊

資料類                        計 一〇八〇件

ということになります。私たちの最後の作業となった昨年(二〇〇三年)の八月の段階では単行本と定期刊行物についての目録は完成していましたので、資料類のデータを目録に含めることで全ての作業が終了しました。この春、韓国の宋a瑛さんから目録が全て完成したという報告を受けましたので、完成した冊子がまもなく私たちのもとに届けられるものと思います。

 

ソウル大学校を訪れる機会がありましたら中央図書館にもぜひお立ち寄りください。図書館の入り口の左脇の壁はこの図書館に書籍を寄贈した個人、団体の名が書かれたプレートが並んでいます。時間の余裕のある方はそこで少し足を止めていただき小沢先生の名前を探してみてください。

小沢先生の書庫でもあった「たまり場 ねぎぼうず」はなくなってしまいましたが、蔵書がソウル大学校に寄贈されることによって韓国における新たな研究者が育つ可能性の芽を与えてくれたのだと思います。

 

          「小澤有作文庫」は先にも述べましたがソウル大学校・中央図書館6Fにあり、現在稼動しています。ただ希少な資料を保管してある書庫にあって開架式ではないというのが難点です。その場に行き、目録から貸し出しの手続きをするという方法をとらねばなりません。少し面倒ですが文献の紛失・散逸を防ぐため、やむを得ませんでした。

(雑誌 海峡の原稿より。2004年7月記)