1981年、広島と長崎における原水禁大会に、平和を願い世界各地から集まった人々。
しかし、三菱長崎造船所で捕虜として強制労働させられ被爆した、元オランダ兵捕虜オンケ
ン氏には入構を許し、14歳の時強制連行させられた朝鮮人徐正雨(ソジョンウ)氏には入構
拒否の姿勢を見せる現在の三菱における民族差別の姿。
その徐正雨氏が、被爆後遺症で機能を失った肺を振り絞って日本人へ問いかける。「どうし
て我々朝鮮人が日本に来たのか。その歴史を知っているのか。」
それに応じる形で、日本の朝鮮への侵略と強制連行の歴史を明らかにしていく。
こうした歴史的背景を踏まえた上で、朝鮮人被爆者の静かな、だが深い怒りと悲しみの証言
が続く。
結婚後1年間も夫人にケロイドの肌を見せなかったという朝鮮人被爆者。自分の目の前で子
どもが燃えていくのをどうすることもできなかったと語る人。「あー、もう戦争はいらんとよ」と嘆く
人。腰に今でも6本の鉄の棒を埋め込み身体を支えている人。だまされて売春宿に連れてこら
れた朝鮮の娘たち。
祖国から強制連行され、強制労働させられた朝鮮の若者の逃亡を助けた山奥の日本人老婆
の証言。朝鮮人被爆者の遺骨154体が官憲の手で奪われたのを、見届けた日本人牧師の証言。
「なんでここに来て、こんな目に会わなきゃいけないのか。・・・軍国主義、日本人がしたんで
す。・・・この体を返せ、この体を」と鋭く日本人を告発する朝鮮人被爆者。
「とにかく生きていこう。生きたら必ずこの原爆の、悲惨なものを語り続け、二度とこういう悲
惨な立場は残すまい」と静かに語る朝鮮人被爆者。
この映画における朝鮮人被爆者の人たちは、決して流ちょうな日本語で語っているわけでは
ない。しかし、その口から語られる重い言葉と、顔に刻まれたしわと、原爆によって受けた傷跡
が、二重、三重の辛苦を雄弁に物語っている。
数多の悲劇を乗り越えてきた朝鮮人被爆者と、原子雲に消された痛恨の朝鮮人被爆者の思
いを、世界の人々に・・・。
(1981年。製作・監督 盛善吉。45分、カラー。)
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