(奈良夜間中学校の記録)
「小学生時代、冬は寒い北側の席に、夏は南側の暑い席に座らせられ、弁当のない
ぼくは先生が弁当を食べる間、目をつむらされた。」小学生時代、貧困と差別のうずの
中で文字も何も得られなかった38歳の夜間中学生の作文であり、教育の重要な証言
である。
戦後、落ちこぼれというより、たたきつけ、けとばされた子どもたちが、学校に行けない
で食べるために世の中に放り出された事実がある。この人たちには中学校卒業の免状
がないため、美容師、理容師、調理師の国家試験が受けられない。したがって、仕事は
日雇いか臨時工、物売りしかない。
そういう人たちのために、東京、大阪、兵庫、川崎に夜間中学校が開設され、近県の
人々も遠さをいとわず通っていた。ところが、大阪府教育委員会は「76年より、大阪在住
者に限る」と。
その線引きにあった人々が奈良にもたくさんいた。その人たちをどうするか、教師たち
は迷った。とまどって街頭に立ち、署名活動を始めた。その記録は「うどん学校」(盛書房
刊・絶版)にくわしい。
この本は77年公立学校開校を奈良県が約束した時点でまとめられた記録である。
しかし、その約束は反古にされた。
1年間無給で教えた教師のために生徒会が立ち上がって、行政側と交渉を始めた。け
れども、明解な回答は得られなかった。
この映画は行政の人たちにも、夜間中学を知らない人々にも、一体無料教師と奈良夜
間中学生の生徒が何を教え、学びあっているのか。なぜに、生徒が教師を神さんみたい
と言い、教師は生徒を菩薩と呼ぶのか。それが教育の原点というなら、その原点をわかっ
ていただきたいと企画、構成されたものだ。そして誰が、何をこの人たちにしなければいけ
ないか考えてくださることを切実に願っている。
(映画の内容)
奈良に住んで大阪の夜間中学に通っていた生徒が、1976年度から規則が変わって行
けなくなった。そこで、奈良の先生や市民や生徒たちが集まって、私立正強学園高校の
食堂の2階を借りて学び始めた。
年寄りの生徒も集まってきた。疲れると、先生がうどんを作って一緒に食べる。あたたか
いうどんを食べて勉強しているうちに、お互いにうちとけた人間関係が生まれ、生徒のさま
ざまな体験談が飛び出すようになる。
生徒は暖かい、気取らない、飾らない学校の中で、菩薩のように楽しく厳しく学び続ける。
現在、さまざまな教育の問題が議論されているが、ここでは教育の根本である学ぶこと
の楽しさ、尊さをもう一度振り返ってみたい。
(1976年作品。製作・監督 盛善吉。24分、カラー。)
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