遺言

 戦争中、絶対君主制(天皇制)を敷いていた日本。「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」
という憲法が生きていた頃、神戸のある国民学校で天皇の写真を入れた奉安殿に最敬
礼をしない児童がいた。
その父が歯科医の石浜義則氏だった。
 彼は「天皇は現人神ではない」と言ったために捕らえられる。裁判の時、クリスチャンな
ら誰でもそう考えている「キリスト以外に神なし」との証言を求め、刑事つきで、有名な牧
師を何人も訪ねるが、‘この世の力’を恐れてか、断わられる。
 そして彼は治安維持法違反で3年半の刑を受け、悲惨な拷問に耐えながら、各地の刑
務所を転々とし、1945年8月6日、広島刑務所で原爆に被爆する。
 ‘この世の力’の最も悪質なもの(治安維持法)、凄惨なもの(原爆)に出会い、耐え抜い
て真一文字に生きた石浜義則氏の証言。
 当時、広島刑務所に投獄されていた人々の中には、「虎ノ門事件」の証言者もいた。また、
朝鮮独立運動家もいた。原爆被爆時、石浜氏はその朝鮮独立運動家たちに獄扉を打ち破っ
てもらい、助けられる。そして釈放後、その人々を奥さんの実家に招いて、白米を腹いっぱい
食べて、数日をともに過ごす。
 最後に、朝鮮人被爆者についての、この人でなければ語れない深い感慨と、日本人のある
べき姿が、鋭く問いかけられる。
 「日本人は正しいことをして食わさない人間より、不正を行って飯を食わしてくれる人間の
ほうがありがたい。腹がふくれたらそれで結構だ。日本人は正義の追求者ではなく、食欲の
追求者だ。彼らに見えるのはいくさ神です。」

 戦争中‘この世の力’を恐れ、ひざまずき、戦争に協力していった99%の日本人に対し、
今また、恐れ、ひざまずこうとしている日本人に向かって、白い矢が放たれる。
 それをどう受け止めるのか・・・これからの、私たちの課題であろう。

 なお証言に合わせて、朝鮮独立運動家に、当時、日本帝国、山口地方裁判所が下した判
決文や、長崎市郊外にただひとつ残されている強制連行された朝鮮人飯場の廃墟なども紹
介されている。
 作家石浜みかるさんも、信念を貫いた父石浜義則氏を明るく語っている。



  (1983年作品、製作・監督 盛善吉、24分、カラー)


○ フィルム貸出料  …  1万円
○ ビデオ貸出料   …  5千円
 

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