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「こんばんは」と、毎日夕方5時ころ、三々五々生徒は入ってくる。校門に自転
車やバイクが並ぶ。教室へ急ぐ生徒たちの顔はみんな明るい。5時40分の始
業のベルが鳴る。生徒の笑い声や先生の声が各教室で起きる。
体育館にも美術室にも灯りがともり、呼び声や足音が交差して夜の闇の中の
校舎は、活気に満ちていく。しかし一般社会では一部の人しかその存在を知
らない。
大阪に夜間中学ができたと、教職員組合の活動やマスコミの報道などのPR
の成果か、毎日のように生徒が入ってくる。初めての夏休み頃には、開校時
89人の生徒数が128人にもなった。
2学期には専任教諭も8人になり、学級編成も手直しし、一段と熱気を帯びて
夜間中学の学習が進んでいったある日のこと、「先生、一緒に帰ろう」一年生
の松延君(27)が廊下で待っている。私が社会科を受け持っている生徒だ。
慌てて支度をして一緒に天王寺駅へ向かう。彼は家具工場で住み込みで働
いている。駅前の末広食堂に入る。姐さんが玉子丼を松延君の前に運んでく
る。おいしそうに食べる。
松延君はポケットからJRの定期を出して見せる。「平野(ひらの)からかよって
んの」「ハイ、先生、ボク出席簿で呼んでほしい」少しつまりながら話す。
松延君は、小学校2年生の時、日本脳炎を患い言語障害と、ワンテンポ遅れ
る運動障害を持つ。養護学校の思斉(しせい)中学の出身だ。彼は「思斉中
学では、一人の先生がみんな教えていたし、英語なんか無かった。ボク夜間
中学で勉強したいんです」松延君は続けて「みんな他の人は出席簿で呼ぶ先
生があるのに、ボクは呼んでくれへん。思斉中学を卒業したんやから、生徒と
違うんやろか、名前がないと淋しいねん」
生徒の身にとってこれ程重大なことはない。新入生の受付を担当していた先
生から一応の説明を受けていたはずだと思うが、ここに開校間もない公立夜
間中学の苦衷があった。松延君のような生徒も二、三人いた。
大阪府教育委員会の設立主旨は、「中学校課程の義務教育未終了者のため
」ということであった。
入学受付書類はいちいち、教育委員会に届けなければならない。仮にも卒業
している生徒を入学させるわけにはいかない。といって入学を希望する本人
は、義務教育のイロハのイも身につけていない。ここに、公立夜間中学が抱え
るジレンマのうちの最初が始まった。
仮入学をして毎日通学してくる松延君は、廊下から職員室を覗くが入ってはこ
ない。社会の授業に行くと「にこっ」と笑う。「今日も玉子丼?」と聞くと、「ハイ」
「もうすぐ出席簿で呼んでもらえるからね」「ハイ」
自信もないのに私はこう励ましていた。天下の大法は曲げられないが、「学び
たい」という生徒の願いを蹴ってしまうことはできない。大切に育てることこそが
大切だ。松延くんが、毎日通い続けて勉強することこそが、この難問を乗り越
える唯一の道だと思った。
しばらくして新任の白井重行校長が「それは、いかんなあ」と、学割定期をくれ
たと、私に見せたのは半年後だった。