(15)完
いよいよ最終回です。
去年の四月号から「夜間中学」、今も続けている「麦豆教室」のことを連載させていただきました。私が関わった三十年の中で“教育とは何なのか”を訴える生き証人の生徒たちのことを少しでも理解していただけれ
ばと思って拙筆をとった次第です。
戦中戦後の動乱期の中では誰しも生きるために必死でした。その中であっても戦争のために親を失い、貧困を余儀なくされた人々、また部落差別や民族差別などを受けた人々にとって学校など、無縁の存在でし
た。大阪に初めて夜間中学ができた時の調べでは、全国でおよそ一四〇万人の義務教育未修了の人たちがいたのです。大阪の夜間中学をたった一人で設立させたと言ってもいいあの高野雅夫氏は、「教育は生きるための空気だ」こう叫んで行政に迫りました。(前述)生きていくために今、文字を取り戻そうとする真剣な姿、これが夜間中学生たちなのです。
今年(1999年)の五月で麦豆教室も十四年目を迎えました。最初十三人で始めた生徒も三十人を超える時もありました。先生が足りない、一番困ることです。そんな時、新聞社退職の方、専門学校職員の方、郵便局員の方々など次々と尊い奉仕で応援してくださいました。今も先生はボランティアです。でなければ教室を維持することは不可能だからです。
教室の家賃、教材費など経費は安くありませんが、麦豆教室の趣旨から生徒に負担はかけられません。それで大阪府の地域振興補助を申請して家賃分だけを賄ってきました。それも年々減額、今年度は大阪府の財政事情によってどうなるか心配ですが、生徒たちは「ここに学べる教室がある」と、明るく通っているのが現状です。
私設である麦豆教室は、公立のような拘束はありません。学習は教室の中だけでなく、時として交流学習をします。毎年国際識字年の集会に参加して、あちこちの部落識字学級の人たちと勉強をします。大阪に限らず福知山や伊那にも出かけました。つい今年の一月にも、舞鶴の北浜隣保館をたずね、一晩の楽しい識字学級交流会を持ちました。
最近の教室で目立つのは国際色が豊かになったことです。
一昨年にはミャンマー(ビルマ)出身のモモウさん(30)が仲間入りしました。日本で結婚五年目ですが、文字の読み書きの一から始め、去年はベトナムのホーチミン生まれの岡田漢(ハン)さん(20)。岡田さんに嫁いで一年半、この三月末に長男を出産しました。日本のお母さんに赤ん坊「渉ちゃん」を預かってもらって教室へ通っています。
姜(カン)オモニが「漢(ハン)ちゃんお手柄」「お手柄ってナニ」「私もわからない」と、みんなで大笑いになります。他にペルーからマリアさん、カルメンさん、フィリピンからキャロルさんら若い人たちが、古株のオモニたちに混じって勉強を始めて、教室は一段と明るくなりました。今日も自主夜間中学麦豆教室は、文字を求める人たちと頑張っています。
親鸞聖人は、範宴さんという名のお小僧時代から苦労して修行され、貧しい人々の救済をお念仏の道に導かれたと聞いています。その親鸞聖人の流れを汲む「南御堂」のもとに、この度「夜間中学でー取り戻せた学び」を掲載させていただきました。感謝の気持ちで一杯でございます。編集部の皆様には多くのお力添えをいただき、読者の皆様には拙稿を長い間、読んでいただき誠に有難うございました。皆様のご精進とご健勝をお祈り申し上げます。
合掌 【完】