岩井先生と夜間中学

夜間中学で取り戻せた学び

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麦豆教室の勉強も大忙しの内に過ぎて次の年(1987年)を迎えた。二月に入って早々東京の山田洋次映画監督から電話をいただいた。寅さん映画「男はつらいよ」で有名な監督さんだ。私が、まだ天王寺夜間中学に在職していた頃、二度ほど私の教室を見学されたことがあった。映画で「学校」を撮りたいと意図されていたようだが「なかなか構想がむずかしくて」と言われ
ていたことを思い出した。私はいよいよ具体化されるのかと胸をときめかせてお会いすることを約束した。
次の週、来阪された監督は「今度、毎日放送テレビ局の依頼がありまして」と、麦豆教室の取材を申し込まれた。お話しによると「中村敦夫の地球発22時」の番組で、4月の特別企画として脚本家の大御所である早坂暁はじめ、山田太一、市川森一、山田洋次の四人の監督に一週ずつ番組を担当してもらい、その構成と出演を頼まれたとのことであった。
それで山田監督としては、かねてより構想を固めていく上においてだろうか、この自主夜中・麦豆教室をぜひ取り上げたいとお願いされた。最大の協力をお約束したのは言うまでもない。撮影は早速三月二十六日、三学期の最後の日からということになる。
当日「今晩は、お邪魔します」と、監督以下カメラスタッフ八人が見えられた。学期末、今日は勉強の後、オモニ生徒の手料理で親睦を図る、お楽しみ会が予定されている。
撮影は、お楽しみ会の場面から始まる。五時からの勉強が終って料理が並べられた。生徒は大はしゃぎだ。「あれが寅さんの山田監督だ」「えらい光栄なこっちゃ」「寅さん、いてへんやんか」と騒々しい。みんな揃ったところでスタッフを紹介する。
監督は、「皆さん今晩は、楽しそうな勉強でしたね。先生たちも楽しそう。僕が想像していたとおりの教室でした。今度、毎日放送テレビの特別番組で、この教室を撮らせてもらうことになりました。カメラが入りますがどうか協力してください。これは今日の終了式のお祝いです」と、大きな花束をくださった。盛大な拍手が湧く。教室では生徒一人ひとりに対して各々に合った表彰状を渡し、それを生徒自身で読むところから、お楽しみ会が始まった。カメラはアップで撮っている。
「貴女は、友だちの面倒をよく見ました。ここに表彰します。韓珍變(ハン・チンソップ)殿」「貴女は、教室をいつもきれいにしてくれました。ここに表彰します。高児副(コ・アプ)殿」
オモニたちは緊張気味で読んでいるが顔は嬉しそうであった。監督もスタッフもオモニたちにすすめられて、料理に輪の中へ入っている。オモニの質問に答えて監督は「放送は四月三十日です」「まだまだ勉強の様子や皆さんの家庭や仕事のことも、撮らなければなりませんから忙しいのです」
新学期四月九日授業の撮影に入り、勉強の邪魔にならないようカメラさんも気を使っている。次の日は生野区の御幸森市場を案内、街の様子を撮り御幸森神社で私との対談を、次の日は、早朝から新今宮にある労働者の朝食を用意する、大寅食堂で働く高さんの姿、そして次の日も次の日も撮影は続いた。生野区の刷毛製造工場で働く玄(ヒョン)さん、大阪梅田の焼肉店の韓さんなどの撮影に、生徒たちは一所懸命に協力を惜しまなかった。
「監督さん、よろしくお願いします」「四月三十日を楽しみにしていてください」と、私たちは監督さんたちを見送った。

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